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中国遼寧省に位置する地級都市。中国東北地区遼東半島の付け根、青森県北部と同緯度に位置している。南は大連と接し、西は渤海に隣接し、大遼河は市内から海に注ぎ、中国環渤海経済圏の「経済技術開発区」と「中国重点沿海開放都市」 の交差地区になり、遼寧省の重要な港湾都市で、面積5402平方メートル、全地区総人口235万(2009年)、海岸線96キロメートル。
考古により、早くも28万年前から、「金牛山人」もこの地域で暮らしたと証明し、地域内に各種の「石棚」が存在し、原始社会末期「巨石文化」の一種類。
中国戦国時代(紀元前300年ごろ)「燕」という諸侯国に属していた。「秦」は中国統一した後(紀元前200年ごろ)遼東郡に属させ、前「漢」は紀元前195年ごろに、遼東に18県を設け、営口も漢族と主体になる地域になった。
三国時代ごろから、営口は遼口と付け、三国、両晋、南北朝に渡って、公孫氏、鮮卑族の慕容氏と高句麗(朝鮮)に治められた。「唐」太宗は東征のとき(朝鮮制圧)、営口に多くの遺跡と物語を残し、「唐」末に、前後に渡り、契丹、女真、モンゴルの3つ民族によって、地方政権を建てた。
「明」から、営口は人口、経済繁栄のところと推定される。1651年山東省から農業住民を召募し、1688年モンゴル・バルコ人を安置し、遊牧もしていた。1726年「竜王廟」旧地に「天後宮」を建て、「舳舮雲集、日以千記」と碑文に書かれ、1840年、営口商会議事会発足、今も古い名前の商号、薬店、油坊が残っているし、廟、寺、宮もたくさんあり、または営口に今も残っている各種地名の縁起により、開港前の営口も人口、商号が多く、寺廟林立、当時の中国の貿易港湾都市だった。